平成の世まで土葬だった。関市板取の葬式と埋葬事情
2017年 11月 17日
取材は、まちづくり委員会の取り組みの話だったんですが、
話の中で出た、板取の葬儀と埋葬の事情が面白すぎたので、記録しておきたいと思います。

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板取地区の葬儀は、今は、多くが市役所の近くにある総合斎苑わかくさでやるか、岐北斎苑でやるようになったが、岐北斎苑ができるまでは、ほとんど自宅で葬式をやっていた。
その当時は、亡くなった方が出ると、その日の夜から集落の男性が集まり、
葬式の準備がはじまる。みんなで棺桶の飾りづくりとか。
女性は、その男性たちのための食事をつくる。すべて終わるまで終わるまで5食分ほど。
三日上がりといって、最後は必ずうどんだった。
「なんでか知らんけど、あのうどんが美味しかった。」。
板取は、平成の世になってもまだ土葬だった。
基本的には掘り起こし。新しいところに掘るのはすごく大変。
以前掘ったところは掘りやすいこともある。
ほると、骨が出くるが、中には、まだ土に還っていないことも。
「ビニールのものはなかなか土に還らんのやわ」。
とのことで、靴下とか、布団とか、が残っていることがある。
骨とかは大丈夫だけど、そういうものが出てくるとちょっといやだったなーとのことです。
10年ほど経つと、墓標の杉の木が朽ちてくる。
そうすれば、土の中も、土に還っていることが多く、そこを掘り起こして、
次の人の亡骸を入れた。
ただ、近年は、いい墓標にしてあげようとヒノキとかを使うこともあって、
なかなか朽ちないからわからなくなった。
土葬用の棺は、少し縦長で、今のような寝る棺ではなく、座る形。
板取の多くは土葬の文化だが、奥の方では火葬の風習のある集落もあった。
地域もあって、そこは集落で小さい火葬場を持っていた。
なぜそこだけ火葬なのかがわからない。
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