いま関には昔ながらの銭湯は一軒もありません。
ほとんどの家お風呂がある時代、マーゴの湯もあるので基本的には困らない。
でもないのは寂しいものです。
関に最後の銭湯がなくなったのはわずか4年前。
新町にある錦湯さんがおじいさんが91歳までやってみえました。
実は、なんとか、関で最後の銭湯「錦湯」をまちのシンボルとして活用できないか、考えてます。
というか4年前から考え続けています。
銭湯文化が根付くまち京都に同じ名前の「錦湯」さんがあります。
そこは、銭湯で落語会や音楽イベントを開催しています。
なにかヒントがないかと京都の錦湯さんにも見に行きました。
どう活用するのか、なかなかみえてきません。
まずは、少し動き出そうと、先日、錦湯の持ち主の方に中をみせていただきました。
その詳しいことはまた後日のブログに書こうと思います。
今回は、関の銭湯文化について。
以前、ぶうめらんで調べてみました。マップに落としてみると、
僕の子供のころは確かに銭湯だった!という記憶がよみがえります!
まだ錦湯があったころのお話。
2010年2月の取材です。
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関の銭湯をたどる
その昔、銭湯は地域の社交場であった。
多くが地域のなじみの人。
「当時のお風呂はいろんな人と話ができて楽しかった」
元平和湯の前を通りがかったおばあちゃんは、そう話してくれた。
しかし、昭和40年代になると、風呂を作る家が多くなり、全国的に銭湯は激減する。
関市においても、昭和43年の16軒をピークに年々減り続け、昭和61年には半分の8軒に、
そして現在は、錦湯(新町)1軒だけとなってしまった。
今回、少しでもその名残を求めて11軒の今を訪ねてみた。
関に銭湯文化が消えつつあることはなんとも寂しいことです。
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