信長軍に関鍛冶
2005年 07月 21日
いろいろと書きたいことがたまってきました。
まあ、それはそれでまた書くとして、
誰か、20日に放映されたNHKの「その時歴史は動いた」見た方いますか?我等の関市が出てきます。
テーマは
「信長の巨大鉄船、戦国の海を制す
~織田水軍 VS 村上水軍、決戦大坂湾~」
信長の水軍が、毛利家配下の村上水軍の火攻めでコテンパンにやられた時に、信長は「火でも燃えない船」を作るように当時世界でも類をみない鉄の船を作ったそうです。
その鉄船をつくったのが、「関鍛冶」だったということらしいです。
熱い!!!!
関鍛冶は当時世界最高水準を持っていたということですね。
実は、僕もみそこねました。
再放送があるので、絶対みたいです。
<再放送>
平成17年7月26日(火) 17:15~17:58 BS2 全国
平成17年7月29月(金)(※木曜深夜) 0:15~0:58 総合 全国
それにしても、関の刃は歴史の様々な場面で使われいます。
刀が主役になることなんてほとんどないので、
歴史に刀の名前がでてくることはないですが、
濃姫が織田信長に輿入れする際に持参したのも、
江戸城桜田門外で井伊直弼の首をはねたのも孫六兼元であったと伝えられているそうです。
関鍛冶は信長の楽市楽座以降、特権が剥奪されたため、
全国に散らばるようになりました。
それが、全国各地で鍛冶の技術を伝えることとなり、
江戸時代の刀の7割は関鍛冶の流れをくんだものといわれています(ここまでくると本当かあやしい。)
そして、残念なことに、現代においても殺人に関の刃物が使われることも多いみたいです。
世田谷一家殺人事件も関の包丁・・・。
さて、仕事いこーかな。