関が目指すべきは「つながり合う暮らし」

 ぶうめらんをはじめて7年がたった。その間、社会の変化があり、関市にも変化がある。私自身も様々なまちづくり活動で多くの人たちと関わる中で、当初の想いが多少変わって来た。今期の総会を来月に控え、改めて自分自身が目指すべき関の姿を書きたいと思う。
 結論から言えば、「つながり合う暮らしで、住み続けられるまちに」なることこそ、将来、関市の目指す姿だと考える。つながり合い、住み続けられるために、やるべきことは大きく分けて2つある。一つが、働き方の変化、もう一つが、暮らし方の変化である。

 まずは働き方について述べたい。
 地域で住み続ける為には、収入源つまり、職場が必要である。雇用を増やす事は関市にとって非常に大きな課題であった。雇用を増やす為には、大きく3つしか手段はない。企業を誘致するか、地場の企業の雇用を増やすか、起業を増やすかである。
 これまで関市では、工業団地テクノハイランドを開発し、企業誘致をはかって来た。テクノハイランドはすべて完売しており一定の効果をあげているといえる。しかし、美濃加茂市のソニーの撤退でも考えられるように、工業誘致政策は、その企業が撤退すると雇用が一切なくなるという危険をはらんでいる。また、様々な地域や企業誘致をしようと様々な補助先を設け地域間での競争が激しくなっている。加えて、関市では、新たに工業団地を整備しようにもその土地がないという。企業誘致の政策は関市にとっては将来性があるとはいえない。
 私は、雇用を増やす為に起業を増やすという点に重点を置くべきだと考える。しかし、通常の起業では、都会と比べて関の優位性はない。関は「小商い」での起業を目指すべきだと考える。関は小商い推進都市にすべきだ。
小商いとは「儲ける」「稼ぐ」ことが第一の目的というよりも、自分のやりたいこと/責任のとれること/嫌な気分にならないことを、自分の手の届く距離、目に見える範囲で、細かなコミュニケーションをしながらビジネスをしていく、「ヒューマンスケールを重視した」「小利大安」な仕事のやり方のこと。平川克美さん著書「小商いのすすめ」の中で提唱している考え方である。小商いでは、初期投資も少なく起業のハードルが低い。市民によるつながり合いによってお金が地域に循環できる手法だと考える。「下流社会」を書いた三浦展さんによると、今、第四の消費の時代だそうだ。第二の消費では高度成長期の家族での消費。第三の消費は、1980年代から2000年代の個人の消費。そして、第四の消費では、「つながり消費」。シェアハウス、カーシェアに代表される、物をもたずに共有することで、つながりを楽しもうとする消費である。第四の消費では、地域志向、日本志向、エコ志向と言われる。小商いが広がりつながりあう消費ができる関になれば、関で暮らす優位性が高まるのではないだろうか。
 また「専業」が当たり前としなくても良い。「ナリワイをつくる」では、「ナリワイ」を個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をまねーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事。小さな仕事を組み合わせて生活を組み立てていく。一つひとつ。自分の小規模な自営業として機能させていく。生活であり仕事でもある。
 実は、関にも既に小商い的お店ができている。その一つがカフェマビッシュである。決して恵まれた場所ではない軒先を開放したオープンカフェだが、そこに訪れた人は知らない人でも自然と話がはじまる。店主の亀山久美さんの魅力でもあるが、開放感もある店のつくりにもあり、大変居心地がいい場所である。マビッシュでは、常連さんが教えるギター教室はじめ、古本市、カラーセラピー、カードリーディングなど様々なイベントが開催されている。お客さんがこの場を使ってイベントによってつながりの輪が広がっていくのだ。このように、小額の投資ではじめて、コミュニィが形成されているのはまさに小商いと言える。その他にも、洞戸の武藤さん、然の膳関店、刀匠の福留房幸さんはじめ、小商いは既に関にもある。ブックエカもそこを目指している。また、これは、最近の現象ではない。もともと商店街にあった機能で、淘汰されつつある機能である。小商いは、商店街の再興の一翼も担うと考える。
 ぶうめらんとしては、小商いをはじめやすいようなサポートをしていきたい。商店街の空き店舗の活用等によるシェア店舗のサポート、小商いのネットワーク、コンサル等を検討していきたい。

 次に暮らし方について述べたい。
 現在、お金は、生活して行く為に絶対的な価値を有している。そろそろお金を使い消費しなければ暮らして行けない生活は考え直すべきではないか。しかし、そう簡単に資本主義的社会から抜け出す事はできない。急激に消費がなければ、企業はまわっていかない。そこで、このボランタリーの社会を「サブスステム」として位置づけるべきとするのか藻谷浩介さんが提唱する「里山資本主義」である。
 里山資本主義とは、身じかに眠る資源を活かして、お金もなるべく地域で回して地域を豊かにしようとするもの。お金の循環がすべてを決するという前提で構築されたマネー資本主義の経済システムにこっそりとお金に依存しないサブシステムを再構築していこうという考え方。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入るシステムである。また、内田樹さんは、このシステムを「贈与経済」として定義する(贈与と評価の経済学)。
 地域のつながりがあり、お互いがお互いの特技を活かし合っていく暮らし。野菜をもらえたり、煮物がもらえたり、その御礼に、力仕事をやってあげたり、そういうボランタリーで支え合いながら、特技を贈与し合いながらいく暮らし方が必要だと考える。ただ、個人主義が進んだ時代において、昔のようなしがらみの多いつながりを再構築するのは困難である。劇作家の平田オリザは「誰もが誰もを知っている強固なネットワークではなく、誰かが誰かを知っているゆるやかなネットワークが有効である」と話す。それをできるのが文化だと訴える。文化に留まらず、農業、ボランティア、趣味等も含め多種多様なつながりができる舞台が広げて行ければよいのではないかと考える。

 里山資本主義こそ関市が目指すべき暮らし方だと考える。この暮らし方は、完全に自給自足にしていくわけではない。これまでの資本主義的生活のサブシステムとして位置づけるものである。関市はフリーマガジンのコンセプトにもなっているように「ミディアムスローライフ」に最適なまちである。「田舎過ぎず、都会過ぎない中途半端がちょうどいいまち」。まさにこれは、里山資本主義の目指すサブシステムが有効に機能するまちではないだろうか。
 里山資本主義を目指す為に、当団体が取組んでいく暮らし方改革の方法は二つある。一つが、地域の資源を循環する暮らし。もう一つが誰かが誰かを知っている緩やかなネットワークの暮らしである。水、山、土の自然資源に加え、刃物にはじまるものづくりの技術、そこに住む人々。このような地域の資源を循環する暮らし方をつくることが大切ある。それに加えて、人々がつながりをつくれるネットワークを構築することも大切だろう。
 ここで述べた関が目指すべき働き方、暮らし方はもちろん密接にかかわり合っている。
すぐに変わるのは難しい。この先10年間をかけて、その土壌ができるようにぶうめらんは取組んで行きたい。
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by takayukin_K | 2014-08-21 16:30 | フリーマガジンによるまちづくり

岐阜県関市でまちづくりの代表を16年し、市議会議員となりました。関市のまちづくりを政治活動、NPO活動、地域活動のさまざまな視点からお届けします。


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