走る原点
2012年 01月 27日
ジョギングは、色々と考えられる事がイイ。
どうしようもない妄想が多いが、先日は、こうして走るようになった原点をふと思い出した。
もうすっかり忘れていた。
2週間ほど前に開催された、第30回関市駅伝競争大会。まさに、16年前のそれだった。
この駅伝の中学の部は、多くが陸上部を中心とする運動部が出場していた。
私たちの所属は、緑ヶ丘中学校3年5組。
クラスで出場したのである。
確か、クラスで出たのは、私たちだけで、けっこう珍しい事だったと思う。
なぜそうなったのか、あまり覚えが無い。
陸上部の顧問だった担任の上野先生が、入賞したら焼き肉おごってくれると言った事が発端だったかもしれない。
それなりに走りに自信のある奴らがそろっていて、本気で入賞を狙っていた。
高校受験も迫っていたのだが、夜、出場する奴らとかなり練習した気がする。
みんなで徹夜で勉強して、朝走るみたいなこともした。明らかに勉強なんてできてない。
私は、第1走者だった。
目立ちたがりやだったから喜んで、立候補したはずだ。
入賞は8位以内。
あの時、かなりがんばったが、私は力足らず、11位でたすきを渡す事になった。
すげーくやしくて、みんなに申し訳なかった。
しかし、仲間がみるみるうちに抜かして、最終的には、5位入賞することができたのだ。
その時の写真は、今でも、大切に、勉強机に挟んでいる。
どうだ、クラスで入賞したんやぞ!
みんな、ドヤ顔で、相当晴れやかだ。
もちろん、約束通り、先生にはたらふく焼き肉を食べさせてもらった。
確か美濃の鶏ちゃんの店だ。「牛がいいのにな〜」なんてぶーぶー言いながら、相当うまかった。
今でも走ろうと思うのは、あの時の、くやしい思い出と、うれしい思い出が原点だと思う。
そんな16年も前の事を思い出したのは、そのクラスの同窓会が3月10日に開催される案内が届いたからだろう。
実は、高校のとき、一緒に走った仲間が亡くなった。
3月10日はそいつの命日。
墓参りをしてから宴会という素敵な企画を考えてくれた。
あいつが生きてたら、何してるかな〜。僕らをみてなんて言うかな〜。
卒業文集に、イメージは「大仏」って書かれてたやつだからな〜。
京谷!俺は、今もたまに走っとるよ。