ホンジュラス紀行1 テグシガルパ〜バジェ
2012年 01月 09日
いろんな経験をしたので、自分の頭を整理するためにも、書いてみようと思います。帰りの道中で読んだ深夜特急に触発されて紀行文風に。
そうとう長くなってしまったので暇な方は読んでください。
飛行機の窓から見るホンジュラスの町並みの印象は、くすんだ茶色。
切り立った禿げ山、雑然と並ぶ家々、明るい色の車は一つも走っていない。
全くわからないスペイン語と、「危険だ」という先入観によって緊張で凝り固まった私だったが、入国審査で、早速、脂汗がでる事態になる。
入国審査管は、滞在する住所を教えろというのだ。たぶん。
そんなもの知らない。曖昧に「のーのー」と行っていると、「迎えにきているだろう。そいつをつれてこい」と言う。たぶん。
パスポートを人質にされ、外にでて探しても、迎えは来ていない。
そういば「ホンジュラス時間はひどいよ」って言ってた。なんて考えて、なす術無く呆然としていると、飛行機で隣に座ていたおばさんが声をかけくれた。
「これを書きなさい」と、どこかの住所を手帳に書いてくたではないか。
おお、神よ。「ペンを貸してくれ」、「yes」だけだが、飛行機の中でちょっと会話しといてよかった。おばちゃんは、笑顔で颯爽と去って行った。
ホンジュラス1日目は、首都テグシガルパの空港から車で1時間ほどの、バジェという小さな山間のまちの家に泊まらせてもらう事になっていた。ありがたいことに、バジェの家族が空港まで迎えにきてくれた。
空港の周りは、ピザパットやケッタッキーなどアメリカ資本のチェーン店が並んでいる。ホンジュラスは、8割9割が日本車のようだ。それも中古の中古。どれも左ハンドルだから、おそらく、アメリカで乗りつぶされた日本車がホンジュラスに入ってきてるのだろう。ボディーがへこんでいない車はない。オイル、バッテリー、給油ランプ、どの車も、なにかしらランプが点滅している。しかも運転がそうとう荒いときた。前にいる車は抜かさないと気が済まないらしい。この国に来て、車がここまでの状況に行き着いても走るんだということに感心した。ちょっとこすっただけで、ぎゃーぎゃーいう日本では考えられない。本来これでいんじゃないだろうかとふと思った。
バジェは、のどかな田舎町で、民芸品が盛んなちょっとした観光のまちだった。「地球の歩きかた」にも半ページほど紹介されている。「かわいいまちなみ」だそうだ。テグシガルパは、昼間でも外を歩いては行けないと言われていたが、ここは大丈夫らしい。ぶらぶらと歩いてみる。

確かに、町並みはのどかで、かわいい。気候も涼しく、町並みが景色にとけ込み、歩いていて気持ちがいい。テグシガルパでの緊張から解けて、このまちがとっても好きになった。
この国は、ほぼすべて、まちの中心に、公園があり、その付近に教会や役所がある。そこからお店や病院が並んでいる。公園には、人が集まり、周りのお店もにぎわっている。これはとてもすばらしい。中心機能を郊外に移転してしまって、今更中心市街地の復興をさけんでいる日本の多くのまちとは大違いである。

民芸品のまちということで、そのお店にも入ってみた。
私だけでなく、おそらく多くの人がイメージいる「これぞ」という民芸品が並んでいる。
とっても手の込んだものもあれば、小学生の工作か!という物もある。例えばこんなの。

民芸品のお店が並ぶ中で、「革製品」の製造直売のお店に心は踊った。普通にかばんやベルト財布がお洒落で、しかも日本円に換算したらものすごく安い。オール本革のカバンは3,000円程度。ここでは、名刺入れとベルトを購入。二つで2000円くらいだった。
泊まらせてもらったバジェの家族はとっても良い人たちで、自分は歓迎してくれて、いろいろなスペイン語を教えてくれた。
「あ、わかって」が「アボガド」らしい。以前、ここに泊まった高木さんが「あ、わかった!」と言っていたのをなんで「アボガド」って言っているのかと思ったと笑ったそうだ。
また、「チェケ レケ パンケーケ」というと、みんな「ウケる」と教えてもらった。それから、初対面のホンジュラス人には、「はじめまして」のあと、この言葉をいうようにした。確かに鉄板でウケた。チェケがOKという意味。あとは不明。言葉遊びらしい。
ホンジュラスの人は、夜が早くて朝が早い。おそらく、電気のある生活がまだ短いからだろう。バジェもよる9時半にはみんな、就寝する。時差のせいでまったく眠くないと思っていたが、旅の疲れからすぐに寝る事ができた。