まちづくりの最前線でかんじたこと

自分は現在まちづくりの最前線で働いているわけだが、今日改めてそれを実感した。これまで、大学院で研究してきたり、論文を読んだりする中でいかにすばらしい仕組みを構築してそれを現場に当てはめることを中心に考えてきた。これまで関わってきたNPOでもそんな感じのやり方が多かったし、日本の国主導の発展途上国の開発もそうだろう。だからこそ、まちづくりをもっとも行えるのは行政のトップで仕組みから変えれる市長であり、自分は市長になりたいと思っていた。
 しかし、まちづくりの現場で働きはじめて強く感じることは、どんなに完璧な仕組みでも、そのとおりに行くとは限らないことである。どんなにすばらしい仕組みでも論理でも、それぞれの人の感情が動かない限りは行動にならない。人の感情は頭で理解するものではない。頭で分かっていても納得できないことなんていっぱいある。特にまちづくりで何か話し合うときなんかは、ずっと住んでいるところだし、これからも住んでいく場所で、利害もあるし、メンツもあるし、体裁もあるし、好き嫌いもある中で、前に進んでいかなければならない。そこからできるものは妥協の産物だろう。妥協の産物の中で少しづつだけど前に進んでいく。これがもっとも普通なまちづくりの実情だろう。町づくりの第一人者「延藤」さんは「イズムよりもリズム」「頭よりも感情に訴える」といっていたのも僕自身頭では分かっていたが飲みこめていなかったようだ。
 僕の頭はそこからいろんな事に派生していく。自分は市長になりたいと思っているが、まちづくりを行うために本当に市長という職業が一番有効な手段なんだろうか?(まちづくりが示すのもによっても違うとは思うがそれはとりあえず置いといて)。まあ、眠くなってきたから今日はここらへんにして、また別に機会にこのことは考えよーと。
by takayukin_k | 2004-10-27 01:23 | まちづくり修行時代

岐阜県関市でまちづくりの代表を16年し、市議会議員となりました。関市のまちづくりを政治活動、NPO活動、地域活動のさまざまな視点からお届けします。


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