やっぱり関の刃物はすごい!というお話。
関の刀鍛冶は、室町時代に全盛期を迎え、その頃から、優れた技術を持った関鍛治が、
全国の大名や武将に歓迎され各地へ移住するようになりました。
織田信長にも多くの関鍛治が召し抱えられ、信長が清洲を治めると、
そこに「関鍛冶町」という町名が生まれました。
さらに、江戸時代初期には、家康の命により、清洲城下の町割がそのまま名古屋に移転される
「清洲越し」が行なわれます。
清洲にあった「関鍛治超」は名古屋にもでき、鍛冶屋が多く住んだそうです。
名古屋の「関鍛治町」は、現在の愛知県庁や名古屋市役所の近くにありました。
また、この周辺には、当時の関村の町名に似た「伊勢町」、「練屋町(現在の本町2丁目)」、
「呉服町(現在の本町3丁目)」、などの名前がありました。
名古屋の関鍛冶町は昭和41年3月まで残っていました。
町名変更により、丸の内3丁目と改められ、関鍛治という名はなくなってしまいました。
関のジンとしてはちょっと寂しいですね。
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